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影を撮む(かげをつまむ)

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暗室のこと

写真は複写である。と初めて言った人が誰だかは知らないが、僕は荒木さんの著作で読んで、なるほど写真とはそういうものかなと思った。
つまるところ実在するものしか写真にはとれないし写らないので、そこが写真の本質であり限界でもあり、そこからしか写真表現は始まらないということなのだと理解した。
撮影行為は複写だとして、では暗室作業、プリントは写真にとってどういう位置づけになるのだろうか?
 プリントをする行為を現象的に見ると撮影の時にやったことをそのまま逆転させる作業である。カメラの中で上下左右逆にして縮小した画像(陰画=ネガ)に裏から光を当て、レンズを通してまた逆に拡大して現実の似姿(陽画=ポジ)として印画紙上に「解凍」するわけである。
 カメラと暗室は可逆的であり、本質的に同じものだと言ってもいいと思う。
その証拠(?)に「カメラ」はラテン語の「部屋」で、カメラの語源である「カメラ・オブスキュラ」は「暗い部屋」すなわち暗室の意味である。フランス語だとchambre noire 、chambre だけでもカメラを指し、これは寝室の意味もある。

じっさいに自分が写真をとってプリントする場合、どういうプロセスを踏んでいるかというと、まず目で見た物に何かを感じて撮影し、現像から上がったネガを見てベタを取り、ルーペでもう一回ネガを仔細に観察して、「コレ」というやつを選択する。じつのところもうその時点では撮影時に現実がどういう顔をしているかは関係なくて(そこに確からしさ、は無い。)ただ、どうプリントすれば「よい」写真になるか、という事にしか考えは及んでいない。現象的には可逆的だが、やっていることは非可逆的だ。

ロバート・フランクは自身のプリントについて「私の手の詩(うた)」と言っているが、これは言いえて妙である。これに対して、中平卓馬はある時期からプリントすることを止めてしまったが、写真から「マニュピレーション」を排除することで、「情感」や「確からしさ」を排した、現在の仙境とも言える視点を獲得しているのだろうと思う。荒木経惟もプリントは人任せではあるが、「暗い中で水を使ってやるから暗室作業はいいんだ。」とも言う。暗さと湿り気が写真には不可欠ということだろうか。

三好耕三さんは暗室が好きなのか写真が好きなのか自分でもわからないと漏らしているが、自分はどうだろうか?

とりあえず暗室がないと何も出来ないのは確かだ。
暗室のこと_d0167674_12204113.jpg

Leica R4-SP Summicron-R 50mm Agfa Vista400
by t_miyazawa0203 | 2010-08-04 12:16
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